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Column
ツバメアーキテクツの千葉さんと考える、木(もく)のアクセシビリティとソーシャル・テクトニクス(後編)
Introduction
はじめに
建築設計事務所のツバメアーキテクツより千葉元生さんをゲストに迎えたオンライントークイベント。前半では、千葉さんに建築設計事務所の活動や木(もく)という素材が持つ特徴と人の振る舞いの関係について解説していただきました。「主体性を喚起するテクトニクス」と題した後半のトークセッションでは、千葉さん、ヒダクマの岩岡と浅岡という面々で、長い時間軸で建築や家具と利用者の間に育まれる関係性や、森と人とをつなぐ仕組みについて議論を深めました。
岩岡:
「主体性を喚起するテキテクトニクス」ということですが、「主体性」というのは誰を指しての主体というイメージですか?
千葉さん:
その空間に居る人をイメージしています。ツバメアーキテクツがデザイン部門とラボ部門を組み合わせることにもつながりますが、建築家は基本的に建物ができるとそれ以上は関われません。そのため従来の建築作品は、完成時が最も美しい瞬間で、それが写真というメディアとも相性が良く雑誌などに掲載されていたという側面があったと思います。それに対し私たちは、実際の空間がいかに利用者に使われ続け育っていくかという点に価値を置きたいと考えています。
岩岡:
主体性の喚起は大切だと思います。木(もく)という素材を考えたとき、アクセシビリティは確かに高いですが、柔らかく、腐る。そして一番よくあるのが、動く。時間軸に沿って変化が起こります。その変化に対し、利用者の方にその主体性を発揮して関わってきてほしいといつも思っています。
常日ごろ木と向き合っている浅岡くんは、主体性を喚起するような家具づくりを考えて製作に取り組むことはありますか?
浅岡:
確かに、どうしてもあとから環境に合わせて反ったり、膨らんだり、割れたりといった変化がよく起こります。しかし、その変化を完璧に押さえ込んだ製作は不可能に近い。作り手にとっては永遠のテーマになり得ますが、 人間と同じように、生き物である木が変化してもいいとぼくは考えています。使用者がお手入れをしたり、 直したりすることを楽しめるつくり方が一番良いのではないでしょうか。
岩岡:
千葉さんはリノア北赤羽の共用部分の設計で、人に一番近い表層部に木を使っていますよね。
千葉さん:
リノア北赤羽でも、木が動いて接合部が開いてきたという連絡が来ています。ぼくらも浅岡君と同じような考え方で、木の動き方は時期によって変わるので様子を見てもらっています。
その話は、過度なセキュリティによってマンションと街のつながりが途絶えているという話とも近いと思っています。単純に提供される商品として空間や家具を考えると、そこに起きる不具合がすごく気になってしまう。それは非常に消極的というか、消費者的なあり方です。場所を自分たちでつくったり、家具を使っていくという生産的な視点を持つと、サービスとしての空間というより、自分たちとしてその場所をどう使うか、という発想になります。家具であれば、どのように維持されていくべきかに視点が向くはず。リノア北赤羽のような巨大なリノベーションにぼくらが呼ばれて、使い方とセットで空間を提供する形になったのは、マンションに対する認識が変わり始めているからだと思います。
そういう意味では、動きやすい性質を持つ木を使ったり、その空間の使われ方を検討することで、いかに主体性を喚起できるかということを考えています。
岩岡:
そうすると、やはり木のアクセシビリティが高いことが利用者の方にちゃんと伝わっている必要がありますね。
岩岡:
DIYに木が使われるのはアクセシビリティの高さゆえだと思うのですが、つくられたマンションの共用部に対しては、どこまで自分が主体性を発揮していいのだろうか悩むところでもあります。実際は、どのようにそれを喚起できるでしょうか?
千葉さん:
プロジェクトの性質でかなり違うとは思います。下北沢のBONUS TRACKは住人が手を加えることを許容するつくりなので、ぼくらが知らないうちにテントが付いたり、木のフレームがつくられたりしています。
リノア北赤羽はあくまでマンションで、共用部はそれを共有し管理する組合のためのスペースです。なので空間自体を変更するというより、その場所が能動的に使われるための設計に重点をおきました。通常よりもスケールが大きかったり可動であったりする家具を、シェアキッチンといったプログラムと組み合わせつつ、素材に木を採用したのがリノア北赤羽におけるバランスです。
岩岡:
今の話に関連して、参加者の方から質問をいただきました。「BONUS TRACKでは主体性を喚起する余白を残し、それに対してサポートする取り組みも行なっていると伺いました。具体的には要望をどのように集め、どのようにサポートしているのですか?」という質問です。
千葉さん:
去年の4月にオープンする前、1月から3月の間に入居者が入って工事をする際、ツバメアーキテクツで内装管理という業務を請け負いました。そこでその場所の変え方のルールづくりを行なっています。普通の内装管理は禁止事項を定めますが、ぼくらが行なったのは「こういうことをしてもいいですよ」というリスト作成しました。この壁の仕上げは変えても大丈夫、ひさしは自由に変更できる、ここにはビスを打ってもいい、などとかなり厳密に。いきなり「何でもやっていいですよ」と言われると困ってしまうので、そのスタート地点を設定し、一番最初の入居者の人にはそれをサポートしながら実践してもらいました。実際にオープンすると「こういうことをやっていいか」という要望が五月雨式に発生します。最初は慣らし運転的に個別で対応しましたが、徐々にお互いの認識が合ってきて、今では自分たちでそのルール内で場所づくりを行なってくれています。最初はある程度の時間をかけて一緒にやる。それが時間が経てば経つほど勝手にやっていただけるようなイメージです。
岩岡:
「こうやっていいんだよ」というきっかけをつくるルールはすごくいいですね。ヒダクマも家具を納品する際に必ず、取扱説明書を利用者の方にお渡ししていますが、それにも主体性を発揮するきっかけが必要かもしれません。浅岡くん、どうでしょう?
浅岡:
そうかもしれないですね。さっきの話と関連して、木が動くことは環境のバロメーターに近いと思っています。木が割れたなら湿度がすごく低いということだし、カビが生えるならジメジメしていて風通しが悪いということ。そして、そうした環境は人間にとっても良くない環境です。木の変化を起こさない環境を使用者がつくってあげることで、結果的に人間にとっても良い環境になると言えることもあります。取扱説明書にそういった内容を書いておこうかなと思いました。
千葉さん:
とても面白いですね。家具はあなたのバロメーターで、当然動いたり割れたりするという話から、いかに動きを制御しながら使用者も健康に暮らすかを考えてください、という話は取扱説明書のあり方としてはすごく新しい。
ヒダクマだからこそ、そういうことができる気がします。大量生産をはじめとした産業主義的な枠組みの中で否定的に捉えられることを、ポジティブに解釈すべきだというところは、木の話と建築の話ですごく繋がっていますね。
岩岡:
建築で変化していくのは、やっぱり木だけではないですよね。例えばマンションだと、その住民ごと歳をとる。店舗や商業施設では、最初は入居者を選定するのである種コントロールが効いているものの、それが次第に均一なものになることもあります。そうした変化に合わせて、ソーシャル・テクトニクスをアップデートしていくようなコミュニティ、あるいは自治組織みたいな働きがあるといいですよね。
生産者と使い手がともにソーシャル・テクトニクスを描く
千葉さん:
「土中環境」という本では、べた基礎にして地面と建物を切り離すようなつくりの影響を取り上げていて、建物は安定するけど、実は土中にある水脈が途切れてしまい、全く別の場所で無理をきたして土砂崩れなどの災害を生み出す原因になっている、といったことが書いてあります。
ぼくらが人間優位の環境を生み出すことで、知らないうちに別の変化がおこり災害などが起きやすくなっている。気付かないうちにそうなっていることの怖さを感じると同時に、様々なことが連関しているんだと言うことに気づかせてくれます。住宅の基礎で言えば、地面から束(つか)で上げることも可能で、風が通るので温度や湿度の変化が大きくなりますが、それをコントロールする造りに建築を変えることもできる。自然側に合わせることを考えるのも、面白いなと思っています。
岩岡:
それはすごく森と人をつなげる部分にも関わりそうだなと思っています。
千葉さん:
そうですね。KINOKOの製作で気付かされたように、ぼくらが買っている家具がいつの間にか背後の森の環境から人の手を遠ざけていて、結果森が荒れていくといったことがあると思います。本当はそういった自分が生きている環境とのつながりを感じられる暮らしの方が幸せだと思うんです、実感値として。何か、そこを組み替えるバランスを探りたいです。地方のプロジェクトであれば、そこの自然環境とどう連関して建築をつくるかといったことがあると思いますし、都市においてどこから来た素材を利用するかを考えて使わなくてはいけません。また、下北沢のプロジェクトのように街の開発者と利用者の関係を考えて、利用する人自身が自分の環境をつくれるようにするといったことも連続していると思います。KINOKOのプロジェクトはそうしたことを改めて考えるきっかけになったプロジェクトです。
岩岡:
木は、森にある状態から次第に材料に変わるので、どうしても形をつくることが目的化してきやすい。どういう森の中で育って、その森に対してどんな役割を果たしていたのか、森と使う人はどうつながっていくのか、というところまで本当は意識していたいです。浅岡君は日ごろ木をたくさん使っていて、森にもたまに行くけれど、森への意識をどうしたらつなげられると思いますか?
浅岡:
飛騨にある昔の良い建築では、木が森に生えていたときの向きを考慮して、柱の位置を決めていると聞いたことがあります。例えば、山に生えていたときに東向きだった面は、柱にしたときも東向きで建てる。木が生きていたときの環境をなるべく再現することで、柱としての強度をより発揮しやすかったり、変化しにくかったりするそうです。ほかには、木の根元が柱の下部にくる向きで使ったり。家具などの細かい部材ではなかなか難しいですが、大きいものをつくるときはせめてそういうことを守りたいとは思っています。
千葉さん:
例えば家具でも、飛騨の森からとれた材料でつくったという話だけでもできるといいですよね。今はそれを全く知り得ないことが多いですが、生産者が記載してある野菜などと、本当は一緒であるべきだと思います。建築の部材でいえば、今だとプレカット工場でひたすらカットされたものが現場に届く。なので、どこから来た部材か、どんな木だったか分からない。それがより森に近い環境であれば、浅岡くんが言ったようなことができるというのは面白いですね。ヒダクマの立場は、上手くやればそういうことを伝えていける、とても面白いポジションにいると思う。利用しているぼくらも、飛騨の森からきたという話をすると同時に、どんな木でどのようなストーリーがあったのか伝えていけると、より楽しくなっていきそうです。
岩岡:
そうなんですよね。これは建築に限らないことですが、生産者と、(好きな言い方ではないですが)エンドユーザーがプロジェクトとして一緒のチームに入ることは、まずない。なので森側の生産者から、ぼくらやツバメアーキテクツのような建築設計者、クライアントまで含んだ使う人が、一緒に全体のソーシャル・テクトニクスを描き、認識しながら進めたり、KINOKOのプロジェクトで千葉さんが描いてくれた連関の図を一緒に描いた状態で進められるといいなと、常々考えています。
千葉さん:
建築家の仕事はある意味、色々なところから来たモノを取りまとめることなので、今のような話は建築家の役割のひとつであるべきだと感じました。また、主体性を喚起するといって今日ぼくが話していたようなことは、利用者と空間の話ですが、逆に生産側も実際にできる空間になにかしら声が届けられる仕組みがあると面白そうですよね。
岩岡:
そこで、ヒダクマとツバメアーキテクツで連携できると、最上流から最後までがしっかりとつながるわけですね。
千葉さん:
そこでぼくらはツバメなんで、割と飛び回って(笑)
岩岡:
ぼくらはクマなので、のそのそと歩きながら(笑)
千葉さん:
生産者さんと一緒に来るんですね。そういうことができると、より面白いですね。
岩岡:
次一緒にプロジェクトをするときには、是非そういう枠組みでやってみたいですね。
千葉さん:
そうですね。今日の議論はそういう意味で発見がありました。
トークセッションを振り返って感じるのは、各人のレベルで誰もが様々な連関に対する当事者であるということです。そこで、いま触れている衣類や家具、あるいは建築に関わった素材の生産者から作り手までを想像してみると、リアルなイメージが浮かぶものは多くないことに気付きます。今回のトークセッションでは、森から始まる連関のイメージや実感をよりリアルに使用者に届けることが、ヒダクマの目指すものづくりであり、森と人とをつなげることであると、改めて確認することができました。
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