Column

『竹田さんの青春』10周年記念企画 10人インタビュー「踊り場にて」

FEATURED PEOPLE
登場人物
竹田 慎二
Shinji Takeda
飛騨市役所 まちづくり観光課 課長

Introduction はじめに

ヒダクマは、2025年5月25日に10周年を迎えました。

これを記念し、ヒダクマのこれまでのこと、未来のことを語り合う、10人へのインタビューを順次公開します。

「踊り場にて」というタイトルには、10年間を歩んできて、今通過点としての踊り場に立っているヒダクマが、次にどこへ向かうのか。希望と不安に満ちた中で、10人の皆さんとこれまでをふりかえったり、これからの可能性について想像を膨らませながら語り合い、さらなる挑戦につなげたいという思いを込めています。

初回の話し手は、飛騨市役所まちづくり観光課の竹田慎二さんです。竹田さんは、ヒダクマの設立に関わった立役者。5周年の時にはヒダクマへの思いを綴ってもらいました。(5周年の竹田さんの寄稿文はこちら。)竹田さんは、行政では異例のヒダクマの設立準備から数えて10年間もの間、同じ仕事に従事し、飛騨市の「広葉樹のまちづくり」を推進しました。その後、2024年4月に現職のまちづくり観光課へ異動された後も、ヒダクマを見守り、応援してくれています。

インタビューの聞き手は、竹田さんと二人三脚でヒダクマ設立に奔走したヒダクマ代表の松本です。何度も語り合った仲だからこそ、お互いあえて聞かなかったことも、10周年記念ということで色々話してもらいました。

改めて聞く、ヒダクマ設立の経緯、そしてヒダクマが誕生した後に起きた変化や未来への思い。全5回でお届けします。

Editing:ヒダクマ編集部  

目次

  1. ヒダクマ誕生(2025.06.12)
  2. きらきら最前線(2025.06.19)
  3. 大人になったヒダクマ(2025.06.26)
  4. 登山口を探してた(2025.07.03)
  5. 青春を再び(2025.07.10)

 

プロフィール

竹田 慎二|Shinji Takeda
飛騨市役所 まちづくり観光課 課長
1973年飛騨市(旧古川町)生まれ、飛騨市育ち。平成4年に旧古川町役場に奉職。税務課、住民課、農林課、企画課、林業振興課などへの配属を経て現職。これまで薬草や広葉樹など、地域固有の自然資源を活かしたまちづくりや産業振興を担当し、その中で㈱飛騨の森でクマは踊るの設立も担当。2024年4月に、これまで経験したことのない観光分野に異動し日々苦悩中。


 

1. ヒダクマ誕生

壱之町珈琲店で、ふたり

松本:

まずは最初に、ヒダクマができるきっかけ、始まりのところを、10年前、10年以上前を振り返ってこうだったよっていうことを今の竹田さんの言葉でお話をいただければ。僕も、もうこんな場でもないと今さらしない質問なんですけど、何が始まりでしたっけ。

竹田:

これ、前に書いたことと違うことを話すような、怖いんですけど(笑)。担当上、地域振興という分野の仕事をしていたので、その時に海士町や上勝町で成功事例と言われていた取り組みを見てきた。よく覚えてるのは、海士町へ行った後に上司に呼ばれて、その上司も一緒に海士町へ行ったにも関わらず「あんな高い旅費を使って行ってきて、何も提案しないなんてことはないよな」的なことを言われて、え?一緒に行ったじゃんって思った覚えがあって(笑)。その時に上司から「海士町みたいに、地域おこし協力隊みたいな外部人材を呼んで商品開発をすればどうだろう」と言われたんですね。だけどその時、商品はできると思うんですけど、ビジネス素人の市がこれはいいだろうと思って販路も考えずにつくった商品が売れるはずがないって思ったんです。素人の自分でもそれは分かったので、困り果ててこの話を松本さんに壱之町珈琲店(古川町壱之町にある古民家カフェ)で話したんですよね。

(写真提供:壱之町珈琲店)

――― 竹田さんと松本さんの最初の出会いは何年ですか。

松本:

多分、2012年だったんじゃないかな。

竹田:

私も紹介してもらったんですよ。ある女性の市職員から「竹田さんに紹介したい人がいるんです」って言われて、松本さんだったってのはすごい覚えてます。

松本:

仕事のお付き合いではなかったですね。

竹田:

それこそ松本さんの良いところでもあり会社的には悪いとこなのかもしれませんけど、儲けにならないことでお手伝いをいただいていて。

松本:

竹田さんと仕事ってことではなくて知り合ったので。竹田さんは当時、移住促進担当だったと思います。

竹田:

そうでしたね。

松本:

都市部にいるような人たちに、飛騨市のことを知ってもらったり興味持ってもらうには、どういうことをしたらいいんだろうねっていうことを、トビムシの立場というよりは都市から移住したいち個人の立場として、こうやったらいいんじゃないですかね、みたいなことを一緒にやってたんですね。1年くらいそんなお付き合いをしていたんですが、ある日、「お仕事としてお願いしたいことがあります」と呼び出されて、壱之町珈琲店の小上がりで話がありました。

――― それはいつですか?

松本:

2013年12月。でも、僕もどうするのがいいのか、今だったらトビムシとしてこういうことができますと言えるんですが、当時は、これができますとも、ぜひこれをやりましょうと言ったことも、あんまり関わらないでおこうって思った記憶もなく。そういうことをやらなきゃいけないんなら一緒に考えましょうかというような、そのぐらいです。ぬるっと始まりますね。

――― 当時の竹田さんの印象は?

松本:

あんまり変わらないですけどね。やるべきことをちゃんと考えて、かといって自分で何かしかけようっていうよりは、いい意味で人に頼るというかオープンで。けど変に流されない矜持はありつつみたいな感じですね。

退院した次の日に来てくれた人

松本:

林さん(林千晶さん・当時ロフトワーク代表取締役)に2014年の2月に飛騨に来てもらいました。ロフトワークとは、それよりちょっと前に(トビムシの拠点がある)奥多摩でロフトワークが社員合宿をしてくれて、それをきっかけに林さんと竹本さん(竹本吉輝さん・トビムシ代表)が会って、「トビムシとロフトワークでなにか一緒にできたらいいね」という話をした時に一緒にいたんです。他の多くの人と同じように、林さんと仕事ができたらなんか楽しそうだなって思っていたので、竹田さんから相談をもらった後すぐに、飛騨に来てもらえませんか?とお誘いしました。竹田さんにもうまく説明できないけど、「一緒にやったら面白そうなロフトワークという会社の代表の方が来られるので、ぜひお話してもらえませんか?」ってお願いして。ただその時竹田さんは入院されてたんですよね。

竹田:

はい、その時ちょうど手術のために入院してて、じっとしてたんですよ。病室でその電話を受けた。お会いする日が退院の次の日だったと思います、確か。だけど松本さんが、今と全く同じような言葉で「このプロジェクトで重要な人になると思うので、林さんに会ってほしい」と言われて「じゃあ行きます」って言って、河合町の西さんというお宅でした。「だけどお酒とか飲めなくていいですか」みたいな話をして。今でも覚えてるんですけど、林さんってめちゃくちゃ大勢の人に会うじゃないですか。だけど私の名前はすごく早く覚えてもらったんですよ。なんでかって言うと「竹田さんって退院して次の日に来てくれた人だよね」って、しばらく言われてました(笑)。

――― 林さんの話で、その時の滞在先にやかんに入った野草茶が用意されていたと聞きました。

竹田:

それも松本さんの配慮です。

松本:

まだ僕も飛騨のことはそんなに分かってるわけでもなかったので、精一杯のことを。今思えば、八ツ三館(飛騨古川の老舗旅館)に泊まってもらえばよかったかもしれないですけど、なんでだったんだろう。ご家族で来られるとのことだったので一棟貸しの家を借りて、食事とかは自分で手配しなきゃいけないから、飛騨のお米とかお味噌とか牧成舎の牛乳とかを冷蔵庫に入れておいて、寒いから河合の野草茶も沸かして用意した。竹田さんが退院して来てくれたのも含めて、ちゃんとしたおもてなしなんかじゃなくて、素朴で一生懸命な感じだった。

林さんは最初の飛騨来訪後、間もなく再訪。写真は、2014年2月23日に河合の民家で囲炉裏を囲んで。真ん中上から順に、竹田さん、松本、林さん、ロフトワーク代表の諏訪さんの席、竹本さん、河合の西さん(撮影:諏訪さん)

正味10ヶ月

竹田:

ヒダクマができるまで、その間は正味10カ月なんですね。最初の3カ月はよくある地域の資源調査。最初、飛騨市の中でも地域を絞ろうということで河合町がフィールドだったんで、河合町にある地域資源って何なのかっていうのを洗い出していただいた。普通、委託事業だと、例えばトビムシに委託したらトビムシの人が調査をやって、成果品もらってOKですっていうかたちもあるかもしれませんが、当時、自分も一緒に動いてヒアリングにも同席させてもらって、それが行政は年度で動くので3月で一旦終わる。

松本:

次の年度で、ロフトワークがネットワークしているクリエイターに何組か来てもらって、ツアーを行い、飛騨の小径広葉樹と組木の技術を使ったプロトタイプをいくつかつくったりしました。他にも林産物の活用や空間利用など、とにかく色々な人に来てもらって、必要なことは竹田さんと一緒になんでも全部やりました。

飛騨の匠が伝承する組木の機能を応用し、簡単に組み外せる組木テーブル。岩沢兄弟のデザイン。
建築家の大野友資さんが設計した「壁継ぎ」。継ぎ手のメス側を壁に配置し、オス側を要求に応じてその都度3Dプリンターで制作することでフレキシブルに壁をハックすることができる。
竹田:

そうした資源を持続可能な形で活用できる仕組みづくりっていうのはどういうやり方があるのかっていうのを、翌年度予算の締切に合わせて10月までの7か月間で成果品にしてもらいました。最初に2年ほしいって、松本さんに言われた覚えがあって、今思えばすごく申し訳なかったんですけど。それを2年ではなく10カ月でやっていただいたっていうのが実際です。

今では当たり前みたいに使われている地域商社という言葉も当時は自治体の中では使われてなかったんですよ。だから「すいません、松本さん、地域商社ってなんですか?」みたいな話をしたこともありますし、5周年の時にも書きましたけど、出てくる言葉は初めて聞くことばっかりでした。それで10か月間の調査の成果品となるご提案を受けたんですが、「いいね、これやろう」っていうふうにはすぐにはならなかったんですよ。それを受けて「竹田、どう思うんだ」って言われるので、提案を実現させるために資料をいろいろ作って何回も協議して。その過程でヒダクマ設立の話になっていったというのが、意外と知られていないあの10カ月でした。

――― 「どう思うんだ?」って言われたのは、当時の市長さんですか。

市長や副市長でした。行政が何か新しいことを始める時、市長の指示、いわゆるトップダウンの場合と、職員の提案、いわゆるボトムアップの場合があるんですが、その時は完全に後者でした。だから、ご提案を次のステップにつなげるには、担当の私が何かしらのアクションを起こして、市長、副市長に「やろう」と言ってもらう必要がありました。ある意味、だから鍛えられたと思います。以前世間でよく言われていたスーパー公務員みたいな人、どこにでもいるもんじゃないんですよ。だからこのお仕事をきっかけに、民間企業の人と色々話したいって思うようになりました。公務員として優秀な人は山ほどいますけど、ヒダクマをつくったりすることは公務員の仕事と全然、違うじゃないですか。

2015年4月 東京・ロフトワークでのヒダクマ設立お披露目会(写真:ロフトワーク)
松本:

でも逆に言うと、民間の人でも竹田さんがやってるような仕事をできる人っていないと思うんですよ。僕がこういう質問をするのはあれですけど、なんでできたと思います?よく視察に来られた行政担当者の方が、竹田さんみたいになりたい、こういうことをやりたいと言われるじゃないですか。スーパー公務員じゃなくても、ヒダクマをつくれたのは何でだと思います?

竹田:

それはやっぱり運とかタイミングも良かったと思ってて。ノウハウというか、こういうことをやったらどうかっていうアイデアは自分では思い浮かばなかったので、トビムシ、松本さんに頼りました。当時は予算状況も厳しく、市も緊縮財政を謳っていたので、新しいことにチャレンジしにくい雰囲気でした。だから逆に何か新しいことが生まれるような夢があることに対して、何て言うんだろうな、待ってましたって話じゃないですけど、前向きに受け取られて、比較的通りやすかったということはあったと思います。

松本:

でも、そうしたら竹田さんと同じような人がその状況と同じタイミングでいたらつくれたのか、竹田さんならではの性格だったり、頑張ったこと、方法があったりしますか?

竹田:

多くの職員がそこで止めちゃうことを、止めなかった、というか止められなかったっていうことかなと思います。よくあるじゃないですか、そういうの。走りだしたら楽しくなっちゃって、気が付いたら、やばい、ここまで来たらこれもう戻れんみたいな。気付かないうちにその地点を超えてたっていうことなんだと思います。実際、その頃は先のことを考えるとワクワクして、とても仕事が楽しかったんです。

 

つづく。《 2. きらきら最前線(2025.06.19)》

 

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