
飛騨の山と木とともにある「柳木材」のこと|前編
Introduction
はじめに
飛騨古川で材木業を営む「株式会社柳木材」。ヒダクマは、柳木材の場所や機械を貸してもらったり、木を仕入れさせていただくなど、いつも大変お世話になっています。
2020年6月、飛騨市は地域資源である広葉樹の活用に向け「飛騨市広葉樹活用推進コンソーシアム」を設立。柳木材の敷地の一角がその拠点となっています。
2本のコラムで、そんな多種多様な飛騨の木々が集まる柳木材のことを紹介します。前編にあたる本記事では、柳木材の歴史と代表取締役の柳作男(やなぎ・さくお)さんへのインタビューの一部要約を (文 = 飯山 晃代)、後編ではそのインタビュー全文 (文 = 井上 彩)を掲載しています。
「昔は今より立派な木がたくさん採れた」「あの木はあの時あそこの山で伐採した木の二番玉」「この木は毎年クマが冬眠の寝床に使う洞が根元にあって、伐採する前は待ち伏せしてクマを獲っていた」など、様々なエピソードを柳さんが話して下さいました。
Writing:飯山 晃代(ヒダクマ) Editing:ヒダクマ編集部
2020年6月、飛騨市は地域資源である広葉樹の活用に向け「飛騨市広葉樹活用推進コンソーシアム」を設立。柳木材の敷地の一角がその拠点となっています。
2本のコラムで、そんな多種多様な飛騨の木々が集まる柳木材のことを紹介します。前編にあたる本記事では、柳木材の歴史と代表取締役の柳作男(やなぎ・さくお)さんへのインタビューの一部要約を (文 = 飯山 晃代)、後編ではそのインタビュー全文 (文 = 井上 彩)を掲載しています。
「昔は今より立派な木がたくさん採れた」「あの木はあの時あそこの山で伐採した木の二番玉」「この木は毎年クマが冬眠の寝床に使う洞が根元にあって、伐採する前は待ち伏せしてクマを獲っていた」など、様々なエピソードを柳さんが話して下さいました。
Writing:飯山 晃代(ヒダクマ) Editing:ヒダクマ編集部
コラム 「柳さんと柳木材の歴史」
柳作男さんは昭和13年生まれ(取材当時82歳)。16歳の時から林業会社で働き、22歳の時に柳木材をご自身で創立されました。
沿革
1960年(昭和35年)「柳木材」創業
1987年(昭和62年)「株式会社柳木材」「有限会社柳不動産」「有限会社飛栄産商」も同グループで設立。林業・木材業に限らず、木造建築から建材販売まで手掛ける
2020年6月 敷地内の一角が「飛騨市広葉樹活用推進コンソーシアム」の拠点となる
飛騨は周りをぐるっと山に囲まれた地形のため、山に関わる職が多く、長く林業や木工産業が盛んで、この地域の山で育った木を使って多くの製品や建造物が作られてきました。一昔前は古川町内だけで11箇所も製材所があり、木材の取り合いになるほど賑わっていたそう。現在も飛騨地方には老舗の家具メーカーがあり、多くの作家さんが暮らす木工でも有名な地域です。
平成に入る頃までは、町内で原木丸太の競りが行われる木材市場が開かれていました。市場は現在市営駐車場になっている飛騨古川駅の裏で行われ、その運営にも柳さんは携わっていました。

柳作男さん。道の駅 飛騨古川いぶしを案内してくれた。
高度経済成長期の頃には多くの住宅が建設され、木材業は、全国的に一大産業として盛り上がりを見せます。飛騨や東海地域でも多くの建築物が建設され、その頃の柳木材・柳不動産・飛栄産商では40人以上の従業員が働いていました。事務所に5人、木を伐るために山に入る人が30人、工房には大工さんが6〜8人。途中、柳さんのご兄弟も運営に加わり、ほとんど年中無休で働いていたそうです。
柳不動産の工場には常に3組は大工さんがいて家の部材を作っていました。木組みをつくることを「きざむ」とい言います。ノミやノコギリを使って木をきざむ音が毎日響く場所だったとのこと。
現在、柳木材では柳不動産や飛栄産商の運営、木を伐る仕事は行っていませんが、今も木材の購入や相談など、様々な業者の方々や地域の人たちが柳木材を訪れます。




柳木材の倉庫には、山で伐採してきた木の製材品が大切に保管されています。一つひとつに当時の山林に関わるエピソードがあるそうで、山の情景が目に浮かびます。住宅用建材は一般的に針葉樹がメインですが、多種多様な樹種が育つ飛騨の山の木材を伐採してきた柳木材の倉庫では、クリ・ナラ・ケヤキ・セン・ホオノキなど様々な広葉樹や変わった形の木も多く見ることができます。


柳木材に隣接する西野製材所は、今から約40年前に現社長である西野真徳さんの先代が、町中から場所を移し工房を構えました。材木屋と製材所が同じ敷地にあり、互いに行き来できる環境は全国的にも稀有な光景です。
柳さんの事務所には何十枚もの感謝状がぐるりと囲むようにして飾られています。国有林を伐る際には、入札で落札した事業者が木を伐ることができました。広大な山林の立木を搬出した業者にこの感謝状は贈られます。柳木材の皆さんが今までに沢山の経験を積んできたことが分かります。

そのほか柳さんから地域の方々と一緒に、道路の建設や巨大な木造彫刻の建造に関わったエピソードなどを教えてもらいました。
今から35年前、柳木材で伐採した巨木を使った七福神の彫刻が奉納されました。今も高山の飛騨の里近くで見ることができます。一本彫りで、七福神を収める社も柳不動産が建てたもの。


まだ林業機械のない頃は、伐った原木は写真にあるような手ゾリに載せて山から下ろすのが当たり前でした。木を伐るのはほとんど冬で、林業は雪の積もった山道を重たい木材と一緒に滑り降りる、危険と隣合わせの仕事でした。この銅像は柳木材から車で10分ほどの場所にある「道の駅飛騨古川いぶし」で見ることができます。この道の駅では、立派な一枚板から小さな端材まで、様々な木材の購入もできます。
この銅像の設置や道の駅いぶしの運営、街道とトンネルの建設にも柳さんたち地元の方々が関わってきたそうです。



続いていく木と人との営み
インタビューでは、林業についても少し話をしてもらえました。日本の林業は木材生産量と需要も落ち、日本の立木価格は30年間下がり続けているのが現状で、業界では「山までお金が返ってこない」とも表現されます。
その現状も踏まえつつ、柳さんは「山を好きになってしまったんや」と話します。その後、「何の木(樹種)が好きですか?」という質問に対して「全部好きや」と答える姿からは、純粋に山や木に対する愛情が感じられました。
戦時中からの木材需要により、飛騨の山の大径木など、用材になる木材は少なくなりました。柳さんたちが見てきたよりも、もっと昔の山の風景に戻すのであれば、何世代後までの時間が必要です。または昔の姿には戻らず違う形の山になっていくのかもしれません。

今の山も昔の山も、柳さんにとってはずっと関わり続けてきた山の姿の一部であり、簡単に「良い・悪い」で割り切れないものなのだろうと思います。今の時代に合わせた林業の形のひとつとして設立された「飛騨市広葉樹活用推進コンソーシアム」をはじめ、林業を振興する事業が進み、これから先も、柳さんたちが続けてきた木と人との営みが長く続いていくことを願います。
株式会社柳木材 岐阜県飛騨市古川町高野290-1
◼︎記事の中で紹介した場所(取材当時)
道の駅飛騨古川いぶし 岐阜県飛騨市古川町畦畑2173-1 (2023年11月1日~休業)
七福神 岐阜県高山市西之一色町3丁目2021番地