
【寄稿】飛騨の森に囲まれた町で公務員が踊ること

Introduction
はじめに
今から5年前、ヒダクマは設立しました。ずっとヒダクマを支えてくれている人がいます。飛騨市林業振興課の竹田慎二さんです。5周年という節目に、竹田さんはヒダクマ設立を振り返る文章を書いてくれました。事業の立ち上げに奔走していた当時の話、そしてこれからのヒダクマの可能性にかける熱い想いがここにあります。
この文章はヒダクマだけでなく、各地で孤軍奮闘している行政職員の方が読まれたら、きっと勇気や元気をもらえる文章だと思います。近年、地域の行政の在り方や役割に注目が集まっています。私たちは、Web、新聞、書籍、イベントなどで、行政の動きをまとまった形で知ることはできるのですが、裏方として現場で働く行政職員の現在進行形の声を聴く機会は少ないと感じます。行政では公務であることや協調性を重んじることなどから、一個人の考えを発信する機会を控えている場合があるかもしれません。しかしそのことは、行政の内部の動き、ひいては行政の進め方、役割などを、市民/国民が理解しづらいという現実とつながっているように思えてなりません。
改めて、ここにある声は、紛れもない純度100%の飛騨市役所林業振興課の”竹田さん”の声です。ぜひ多くの方に読んでいただけたらうれしいです。
Writing:竹田慎二 Editing:ヒダクマ編集部
この文章はヒダクマだけでなく、各地で孤軍奮闘している行政職員の方が読まれたら、きっと勇気や元気をもらえる文章だと思います。近年、地域の行政の在り方や役割に注目が集まっています。私たちは、Web、新聞、書籍、イベントなどで、行政の動きをまとまった形で知ることはできるのですが、裏方として現場で働く行政職員の現在進行形の声を聴く機会は少ないと感じます。行政では公務であることや協調性を重んじることなどから、一個人の考えを発信する機会を控えている場合があるかもしれません。しかしそのことは、行政の内部の動き、ひいては行政の進め方、役割などを、市民/国民が理解しづらいという現実とつながっているように思えてなりません。
改めて、ここにある声は、紛れもない純度100%の飛騨市役所林業振興課の”竹田さん”の声です。ぜひ多くの方に読んでいただけたらうれしいです。
Writing:竹田慎二 Editing:ヒダクマ編集部
平成27年3月、私は林さん(ヒダクマ初代社長、現会長)から届いたメールをプリントアウトし市長室にいた。
「えっと…、今ほどメールがありまして、あの、新しい会社の名称は、これでどうかと…。」
私が井上久則市長(当時)に差し出したその紙には、飛騨市が50%以上出資する新しい第三セクターの名前の候補として「株式会社 飛騨の森でクマは踊る」と記されていた。
少し沈黙があった。正直少し身構えた。
しばらくして市長は「林さんに分かったと伝えてくれ。」とだけ私に指示した。
ヒダクマが設立されて早いもので5年が経過した。これまで全国から大変多くの方に飛騨まで足を運んでいただき、ヒダクマの取り組みをご覧いただいた。当然、その中には行政関係者も多いが、そういった属性の方に必ず聞かれる質問のひとつが「なぜこんな(おかしな)名前が(三セクの名称として)通ったのか?」である。ヒダクマの設立は、それまで堅実かつ緊縮財政を掲げ一見地味な行政運営を行ってきた飛騨市にとって、この名前同様、相当大きなインパクトがあったことだろう。

話は少し堅くなる。
平成26年、日本創成会議は、少子化や人口減少に歯止めがかからず、将来消滅する可能性があるとする全国896の自治体を「消滅可能性都市」として発表し世間を騒がせたが、飛騨市の名も(当然)この中にあった。
当時の私は企画課で主に地域振興(確か当時は「地方創生」という言葉はまだなかった)を担当していたため、この一方的かつ不名誉な発表を受けてすぐに対策を考えるよう指示を受けた。しかし、少子化や人口減少という問題にV字回復はあり得ない。もちろんできる努力はする必要があるだろうが、それより人口の年齢構成からある程度将来的な減少トレンドをつかみ、それ(減少)を前提としながら中長期的な対策を考えなければならない。
ただ、誤解を恐れず個人的意見を言わせていただくと、田舎の小さな自治体の多くはこの手の業務が苦手である。「短期的な結果」を求めて新しい補助制度を作ることはできても、「長期的な成果」を目指して戦略や仕組みを作ることには慣れていない。なぜなら、そういった業務は外部コンサルティング会社に任せることが多いからである。また、成果を検証する目標年には、肝心の担当者が人事異動でその部署にいなかったり、それどころか定年退職して役所にもいないということも日常茶飯事である。だからこうした業務はどうしても「無責任」になりがちだ。前任から仕事を引き継ぎ担当することになった長期計画に、どう考えても到底達成できそうもないKPIが設定してあるという「行政あるある」は、恐らくこれらが要因のひとつであろうと考えている。
結論から言うと、私はまさにこの時をきっかけに、飛騨市の地域振興、持続可能な地域づくりを進めるため、市内森林の7割を占める広葉樹を活用すること、そして、その手段として㈱トビムシ、㈱ロフトワークとともに新たな第三セクターを設立することを市長に提案し、実行することになる。提案時、私はまだ40歳を越えたばかりで定年までには20年もある。また、飛騨市のような小さな自治体は職員の数も少ないため、いくら人事異動で違う部署にいても、自分が始めたことの(悪い)結果は確実に伝わってくるのだから、そうなれば当然バッシングの的になる。さらに言えば、法人設立は単なる数値目標を立てることと違い、公費による相応の投資が伴うため「無責任」は絶対に許されない。私にとってヒダクマの設立は、まさに公務員人生をかけた挑戦だった。
しかし当時、第三セクターに対する世間の風当たりは厳しかった。確かに経営が悪化した第三セクターに対し自治体が損失補償を行い、それが自治体の財政運営にも大きな影響を及ぼしている例が全国で問題視されていた。当時、法人設立に向けた準備を進めていると、県庁から「小耳に挟んだんですが、飛騨市が第三セクターの設立を考えていると。冗談ですよね?」という電話があったことを覚えている。実は私も最初は市の出資は不可能だと考えていた。なぜなら当時、第三セクターは清算されることはあっても、新たに設立されることは大変珍しかったし、第三セクターというだけで赤字経営、負のイメージが強い時代だったからである。ただ、第三セクター本来の目的は、利益追求のみでなく、公共領域の事業を、よりノウハウを有する民間企業とタッグを組むことで、行政のみで行うよりも効果的・効率的に実施することにある。そのことを考えれば考えるほど、森林という公益性の高い資源を活用した持続可能な地域づくりのノウハウを有する㈱トビムシ、そして国内外の様々なクリエイターとの独自ネットワークを有するクリエイティブエージェンシーである㈱ロフトワーク、これら2社と飛騨市が組むことで、可能性が無限に広がるような気がした。そしてこの可能性こそが逆風の中、第三セクターを設立する原動力につながった。ちなみに指摘される前にあえて言っておくと、「可能性」「気がした」などという抽象度の高い理由で事業を進めてしまうところが、私の行政マンとしての最大の欠点であることは自覚している。

話は変わるが、私の最終学歴は高校である。地元の小学校、中学校に通い、高校も市内の高校を卒業、大学に行くこともなくそのまま生まれ育った町(旧古川町)の役場に就職した。そんな限られた範囲、人間関係の中で育ってきた私だから、法人設立に向けて普段接することがない方々と毎日様々な打合せを重ねる仕事は新鮮だった。しかし同時に、この仕事は私の手に負えないと不安になったことも多かった。打合せに出てくる言葉は何しろ横文字が多い。マーケティングプラットホーム、オープンソース、オープンイノベーション、コクリエイション、シナジー、ローカルベンチャー、デジタルファブリケーション、プロトタイピング、アイデアソン、ドライビングフォース…。まるで異国の地で仕事をしているような錯覚さえ覚え、ここに私の居場所はないのではないかと落ち込んだ。
そんな時、当時、国内の地方創生の成功事例として有名だった海士町(島根県)、上勝町(徳島県)、西粟倉村(岡山県)を勉強のために訪問したことを思い出した。どの地域も以前から一度は訪れてみたいと思っていた地域だ。しかし訪れてみると、遠く離れた歴史や風土も違う地域の取り組みの良いところをそのまま飛騨市にスライドさせてもうまくいかないことは私でも分かった。それより、私の心に印象として強く残ったのは、これら地域のいずれにも表には出てこない、取り組みを陰で支える人がいることだった。ある地域では、昔からある身近な食材が全国一般的には高い価値で見られているという点に移住者が着目、その食材を使った新たな商品を開発したところ大ヒットし、地域の所得向上に寄与したという事例を聞いた。しかし、同時にその陰で新商品の試作品づくりのため毎日昼は野菜を切り、夜に事務仕事をこなして取り組みを支えた行政職員がいることを知った。その時、自分の気持ちが少し楽になったことを今でも覚えている。私にもできること、いや、私にしかできないことがある、と。

そこからの5年間は早かった。ある時職員から「頼むから(新しいことをやって)オレたちの仕事を増やすな」と面と向かって言われたり、「アイツは東京の会社に騙されている」と陰口を叩かれ、それを人伝に聞いたりもした。またある時は「あいつは公費で自分の天下り先を作っている」と囁かれ、次の日には「FabCafeには外国人がいて敷居が高く飛騨には絶対馴染まない」と聞き心が折れた。
しかしそんなヒダクマは5年間で立派に成長した。年間売上は1億円を超え、収支も黒字化を達成するなど、地域にこれまでなかった新たな経済循環の創出と雇用の増加に立派に貢献している。また、外国人がミーティングするその横の席でご近所さん同士がコーヒーを飲んだり、FabCafeに合宿中の外国人が地元の惣菜屋を訪れ、オーナーのおばちゃんと楽しそうにお話したり(当然言葉は通じない)と、地域と外部とをつなぐ新たなコミュニティーの場としても機能している。さらに最近では、行政が新たな事業を進めるためのアイデアが欲しいときにヒダクマを頼りにするといった事例も増えてきた。
当然、まだまだ盤石の経営と言うには程遠いし、課題を挙げ始めればキリがない。ただ、国内における大径広葉樹の資源量減少や、広葉樹産地における林業従事者(広葉樹施業)の減少、そして、コロナウイルス感染症の世界的拡大をきっかけに輸入材に頼った現在の広葉樹流通の在り方が見直される必要性が高まることを考えると、ヒダクマが日本の新たな広葉樹活用の仕組みづくりに果たす役割は今後ますます大きくなるのではないかと期待している。
私も平成29年度に企画課から同年に新設された林業振興課に異動し、それまでの企画側から実践側へと立ち位置を変えるとともに、市の政策として「広葉樹のまちづくり」を掲げ、引き続き広葉樹活用が地域の新たな経済循環創出と市民生活の質の向上につながる仕組み、すなわち持続可能な地域づくりを目指した取り組みを進めている。ヒダクマ設立5周年という記念すべき令和2年度は、私にとって飛騨市広葉樹のまちづくりを次なるステップに押し上げる重要な年度である。感慨に浸るのもほどほどに、引き続き不断の努力で挑戦を続けたい。

Author
竹田慎二|Shinji Takeda
飛騨市役所 林業振興課 課長補佐
1973年飛騨市(旧古川町)生まれ、飛騨市育ち。平成4年に旧古川町役場に奉職。税務課、住民課、農林課、企画課などへの配属を経て現職。企画課配属時に地域資源として市内森林の7割を占める広葉樹に着目。広葉樹活用の新しい仕組みとして、㈱飛騨の森でクマは踊るの設立を担当。現在は林業振興の立場から引き続き飛騨市の広葉樹活用プロジェクト「広葉樹のまちづくり」を推進中。
飛騨市・広葉樹のまちづくりFacebook:
https://www.facebook.com/we.will.create.the.future.with.hardwoods
(※竹田さんの所属、プロフィールは執筆当時のものです)