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  • ヒダクマ秋祭り2017
ミクロの森としてのパン、マクロの森としての町

パンで建築を作る。
この取り組みの概要を周囲の人に説明した際、
皆それぞれの顔には聞き慣れないものへの少しの違和感と、
それを越えた大きな好奇心表す表情があった。

なんともよくわからない取り組みに、無償の力を貸してくださった方々に、
この場を借りて感謝の気持ちを再度伝えたい。
計画を進める中でどうしようもなく困ってあたふたしていたわれわれの周りには、
様々なキャラクターの人々が、場所・世代・言語全てのボーダーを越えて手を差し伸べに来てくださり、
さながらパンに集まる菌のように、独特のグルーヴを生み出すことが出来た。

おそらく、未だに「あれはなんだったんだ。」と疑問符が4つくらい付いている状況。
「パン築」に込められた意義を、事後的ながら簡単に説明させていただきたい。

ミクロの森としてのパン

始まりは突然だった、

バイオアートを専門とするAさんと、建築設計に従事するBさんが出会い、二人の領分から飛騨の秋祭りに向けて森と町、人をつなぐ取り組みをすることとなる。

森と人をつなぐ、というテーマに向き合いながら我々は考えた。
森と一言でいうけれど、そこには一人一人の理解が無限にあり、木材=森でも マイナスイオン=森でも何とでも解釈することが出来る。

初回打ち合わせ

そこで我々は仮説を立てた、太古の昔の人々は森をもっと漠然としたものとして捉えており、衣食住のすべての受け皿として森があったに違いない。そこでわれわれは少し現代の評価軸をこじらせてみることにした。

実験ーぱんまみれ

食べ物だか建物だか服だかわからないものを、森を受け入れながら制作するというのが、言葉の定義以前での人と森との関係を考えることにつながるのではないかと考えこの取り組みをスタートさせた。

そこでパンが登場する。

我々が思うパンは森と同等、ないしそれ以上に生活のそばにある。
ただそれがどのように出来上がるかを真に考えると、自然を理解することなくしては始まらない。

人は往々にしてパンが好きだ、そして森にすむ菌達もパンが好きだ。こういうちょっとした思い込みから、パンを介して人と森をつなげることが出来るのではないかと。

初回パン屋ー鎖

マクロの森としての町

いささか長い前段ではあったが、再度目的をシンプルにしよう。
大きなパンを焼いて菌と人のすみかが作りたい。
もしあなたの隣にいる友人・家族がこんなことを言い出したとしよう、あなたはすぐさまこう思うだろう。

「ああ、この子はとても自由な子だな」と。
そんな自由な発言をわれわれは本気で取り組むことで、なんとか証明しようとした。

実験ー初回

実験ー生地

実験ー内部

実験ー窯

四十八滝

過程の中で、パン屋と呼ばれる人に発酵や焼き方の知識を分けてもらい、陶芸家と呼ばれる人に火の扱い方を教わり、建築構造家にパンの硬度と自立可能性を問うたりした。

また、土地の人々にこの土地の気候・風土・文化を教わり、木や竹・野草などの生殖域を巡り、実際にパンの酵母を発酵・パン生地を練るところを一緒に行った。

そういった人々の間にある見えない糸を手繰りながら、われわれは飛騨という町を幾度となく行きかい、人々の集合としての町を体感していった。

初回パン屋

人々ー庭

人々ー森

人々ー薪

酵母ーWS のコピー人々ー生地1

人々ー生地2

人々ーWS後1

人々ーWS後2

素材ー竹割き

本番ー運搬

その時点で、AさんとBさんから始まった「われわれ」の「パン築」は、職能・生息域を越えて巨大な組織「われわれ」に変貌していた。関係性は人と人同士にとどまらず、森で採取した菌を用いて発酵し、土壌を耕し地を這うミミズに協力を仰ぎ、空を流れる雲に向かって晴天を祈った。

その時点で、「われわれ」はもはや固定の人称で説明することが出来ず、森と町は人と菌やその他もろもろを含めた「われわれ」によってつながっちゃっている事を痛感させられた。

 

「われわれ」=世界を見える化するメディアとしてのパン築

最後ー無言

「森」をあらためて考えることから始まった取り組みは、「自由」な解釈を経てとてつもないエネルギーを集め、台風で水浸しの中で薪をくべるという自然の原理に逆らった狂気さながらの最終工程を経て終わった。
最終的に焼けたパンを目の前に、人々は言葉を失った という状況報告から、この取り組みが純粋に目的を達成したものだと思いたい。
この文章を、取り組みに尽力いただいた方、多大なご迷惑をおかけした方が見られている事を承知で、いささかの駄文・推論ではあるが以下のように結びたいと思う。

地面

まだそこに家も電線も、無論携帯電話もなかったころ、人々は生活の幸福を、茫漠とした自然に向けて願っていた。とりとめもなく厳しい自然の中で生きるために、人々は団結し、時に祭を開催したりして祈ったりしていたんだと思う。今回の経験を通して、私は「ああ、祭を1から作るってこんなに大変なんだ」と思いながらも、「こんなに大変な世界だけど、こうやって目に見えていそうで見えていなかった関係に1つ1つ向き合っていけると分かったら、なんかとても楽しいものに思えてきたな」と感じ、「この関係を長く続けていくことが、環境を考えることなんだな」と痛切に思う。

1最後

パンという身近なものを通して、飛騨の森と人々の関係性の断面を切り取り、そのつながりを考える一連の事柄を通し、世界の中のほんの一部分を大切に思える現在にこれまで感じたことのない最大の幸福を感じている。

執筆者

堀木 俊(ほりき・しゅん)

芝浦工業大学卒業。在学中スイス連邦工科大学ローザンヌ校に留学。2013年より隈研吾建築都市設計事務所勤務。プロダクトデザインから都市計画のマスタープランまで大小様々なデザイン・設計に従事する。 木材・繊維系素材などの基本素材はもちろん、新しい素材や素材の新しい使い方、可能性を見出す事を中心にデザイン・設計を行っている。

参照
http://hapticdesign.org/designer/file008_horiki/