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ヒダクマ社有林で木を伐る~木こりと作家と入る森

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山装う2018 年の秋。飛騨の山奥の広葉樹の森に「木を切る人」と「木を使う人」が一緒に入った。皆で木を伐って転がし、枝を切って投げて拾い、ピザを焼き、飯を炊いてカレーをつくり、珈琲を入れて、森と木とものづくりについて話をした。

社有林とは?「非経済林」と呼ばれる広葉樹の森

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飛騨市の山奥にある、すっかり黄色くなった広葉樹の森。ここはヒダクマの「社有林」。つまり、会社が持っている森。もともとは飛騨市の持っている「市有林」だった。飛騨市はたくさんの面積の市有林を持っているが、その全ての管理や活用はできていない。飛騨の森に価値を生み出すためにヒダクマが設立された時に、飛騨市は「森は地域の負債ではなく資産である。しっかり活用して価値を出していく。」という意思表示として、20 ヘクタールの森を「資本」として現物出資した。

その森は、50 年から60 年生のミズナラ、ブナ、クリなど多様な樹種が生える、いわゆる雑木林。杉や檜の針葉樹の人工林が生産業の対象である「経済林」と言われるのに対し、「非経済林」という言われ方までしている。つまり、お金にならないということ。この森を手入れして売れる木を育て、急な山に道を通して伐った木を出せるようにするには、たくさんのお金と時間が必要になる。結局、国の補助金の対象にならない森は活かすことができないのが、いまの日本の森林、林業の実態だ。

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 ▲ 山には急な斜面に細く曲がった木々が生えている。

しかし、広葉樹の森には本当に価値がないのだろうか。
森の中にいるいろいろな虫や動物のように、想いやアイデアのあるいろいろな人が森に入れば、それぞれが価値を発見して、取り出すことができるのではないか。例えば、建築家、芸術家、写真家、登山家、料理人、音楽家、いろいろな人たちが森に来れば欲しいものが全然違うはず。
まずは自分たちから、自分たちのできる範囲で、その価値を取り出す「実験」をはじめることにした。国のお金や大きな林業機械に頼らず、自分たちの手で木を伐って、出してみる。

森に入る木こりと作家たち

その「実験」をヒダクマと一緒にしているのが野村雅明さん。ふだんも木を伐る仕事をしていて、準木材コーディネーターでもある。

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スイスのフォレスターから学んだ、近自然の森づくり、「将来木(しょうらいぼく)施業」(「育成木施業」とも言う)に強い興味を持ち、ぜひ自分でそれを実践したいと思った。
「将来木施業」は、将来価値がでるはずの育てる木を決めて、質の高い大径木を育てるため、それを阻害するライバルになる木や作業の支障になる木だけを伐る。その時に伐ったライバル木や支障木をちゃんと使ってお金にすることで、持続可能に森を手入れし続けていけるようにする。

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 ▲奥にある赤いテープが巻いてあるのが将来木。青いテープがライバル木。

野村さんはスイスから学んだ考え方を元にして、自分なりに飛騨の地域にあった森づくりを考えていきたいと思っている。飛騨には木を使ってものづくりをする大工や職人、作家がたくさんいる。その人たちと一緒に森づくりを考えたい。考えているだけではわからないので、実践してみたい。

そのフィールドとして野村さんはヒダクマの社有林に関わり、数年かけて調査や整備を進め、今回はじめて試験的に木を出してみることにした。まずはウダイカンバとブナを「将来木」と決めて、そのライバル木となるミズナラ、ブナ、ホオノキ、クリの木と、その作業の支障になるミズメザクラを伐ることにした。

道もない急峻な森では、伐った木を出してくることが大変だ。だから、通常は、確実にお金になる2 メートルの長さがとれるまっすぐな部分だけを運び出してくる。それ以外の根元の曲がった部分や先の細い部分、枝などは木材として使える可能性が低いため、そのまま森に置いてくる。
でも、もしかしたら、木を使う人はその置き去りにされたものを必要としてくれるかもしれない。お金になるかもしれない。そこで、使い手である木工作家さんも一緒に森に入ってもらうことにした。

森の中でピザを焼いてくれた堅田さん

山道を登りながら語り合う奥井さん(左)と貝山さん(右)

森に入った作家は3 人。
ひとり目は、家具職人の堅田恒季さん。柔軟なアイデアと設計力と技術力でやさしさと遊びごころで、どんなものでもつくってくれる。
ふたり目は、木の枝の自然な造形を活かした家具や作品をつくる造形作家の貝山伊文紀さん。昨年の秋には、枝でスプーンを作ってカレーを食べるワークショップを実施した。
そして3人目は、飛騨高山の伝統工芸品である「有道杓子(うとうしゃくし)」の作り手である奥井京介さん。アンプラグドにホオノキの生木を削り、出刃包丁で仕上げている。

野村さんが、ライバル木を伐る

将来木を傷つけないように。

約18メートルの高さの木を、狙った場所に倒す。

ゆっくりと、倒れていく。

衝撃とともに木が倒れ、あたりは舞い散る落ち葉に包まれる。

ミズメザクラの枝をいただく。

保水力の高いブナの枝の切断面からは、水が滴り落ち続ける。

切断された切り株や枝からは瑞々しい木の匂いが漂う。
ミズメザクラには、 サロメチールという成分が含まれており、湿布薬のような独特の爽やかな香りがする。

「木は二度生きる」と言われる。
一度目の「木」の命が終わるが、このまま切り捨てられて朽ちていくのではなく、「木材」として二度目の命を与えるため、作家が真剣に木を見る。

ホオノキの造材について話をする野村さんと奥井さん。木こりが木のことを知る。

朴の木の芯は緑色で薬効成分がある。抗菌性が高いので白木のまま(塗装などをしなくても)杓子やまな板として使用できるが、使う材や部分を選ぶ。

ライバル木を伐った後、空にぽっかりあいた穴から光が差し込み、それを見上げる。作家が森のことを知る。

将来木や下層植生に新しい光が降り注ぐ。

木を伐って転がし、枝を伐って投げて拾う

倒した木を適切な大きさに切ることを「造材(ぞうざい)」と言う。
通常は2 メートルに造材するが、水をたっぷり含んだ生の木は重すぎて人の手ではおろせず、1 メートルに切り、それでも重くて50 センチに、と短く切っていく。

急斜面を転がして、作業道へおろす。(今回はそうしかできなかったが、木の皮に傷がついてしまうのが課題。)

屈強な野村さんが「やっぱり重てえなあ。」と何度も言う。

野村さんから、「ふだんは当たり前に使っとるけど、機械っていうのはありがたいもんだなあ。」「昔の人はようこれをやっとったなあ。たいしたもんだなあ。」頭ではなく体からでてくる言葉がこぼれる。

急傾斜での手作業。

作業がうまく進んだ時に皆の大きな歓声があがる。

丸太搬出は、試行錯誤の連続。

「ディプレイ什器の材料に使える」と、2 メートルの長さの枝を切って、投げながら下におろしていく堅田さん。

「この枝ぶりはいいモビールになる」と枝を採取する貝山さん。他の人にはそのよしあしがさっぱりわからない。

スプーンになりそうな枝たち。まとめて背負子に入れて背負って下ろす。

ちなみに。きちんと道を入れて、高性能林業機械があれば、こんな感じで施業ができる。
(飛騨市の広葉樹モデル林事業のブナ林の施業の様子 1 )

(飛騨市の広葉樹モデル林事業のブナ林の施業の様子 2 )

森の中のピザとカレーと珈琲と対話

お昼ご飯に堅田さんがピザを焼き、珈琲を入れてくれる。

森で採ったクロモジの葉っぱを入れて炊いたご飯に、ヒダクマの松本がつくったカレー。

奥井さんの有道杓子でご飯をよそう。

貝山さんの大きな枝のスプーンでカレーをよそう。

食べながら、森と木とものづくりについて、皆で語り合う。

今日のような森の作業は、スパイスからカレーをつくるようなものだと思う。

メーカーの長年の企業努力が凝縮されている市販のルーの方が、安く、手軽に、約束された美味しい味のカレーを作れるのは間違いない。
だけど、スパイスからカレーをつくることで、ルーにすることによって見えなくなったり、零れ落ちたカレーの価値や可能性を再発見することがある。(結果、市販のルーの素晴らしさがあらためてわかったりもする。)

いまの林業のやり方だって、先人たちの苦労の積み重ねにできてきたもの。機械化された現代林業に比べれば、わざわざ不効率で危険な作業をするのはナンセンスかもしれない。
だけど、昔の人や一部の業界の人だけしか知らない森の作業の難しさや楽しさを、あらためて、今のいろんな立場の人が、体で知る。そこから見つけられる、新しいなにかがあるかもしれない。

一緒に森に入って木を見れば

野村さん、貝山さんからそれぞれの森への想いや作業の感想をいただいた。

木こりの野村さん

支障木をどう使うかは、「今の」ものづくりのクリエイティビティ。 育成木をどう使うかは、何十年後かの「未来の」ものづくりを考える仕事。 それは木を伐る立場の林業の人だけでは考えられない。木に関わる人みんなで考えないと、森づくりはできないと思います。 自分はずっと「広葉樹の森に手を入れる理由」を探し続けています。 針葉樹の人工林は、手を入れないと荒れるので、間伐をする。それは森に関わる理由が明確です。 しかし、広葉樹林は放っておいても天然更新して、立派な森になる。だったら人間が手を入れる必要はない。何のために森に関わるのか。 自分でもそれはまだわからないけれど、「人が木を使いたいから」というのが理由の一つだと思います。だけど、自分は木を伐るだけで、木を使ったものづくりをしているわけではない。実際に木を使う人と一緒に森に入って木を見れば、森に関わる目的がより明確になる。それを今日は強く感じることができました。 森を林業の人だけのものにしたくない。今日のように森や木に関わる人たちともっと森で話がしたいです。

作家の貝山さん

急斜面の作業は想像以上に大変で、その場にいる人達の連携が自然と生まれた事が嬉しく、楽しい発見でした。 育成木に未来の活用方を見出すことは重要ですが、まずはしっかりと育てることが目標のように思います。そのためにも、支障木、ライバル木になる様々な樹種を素材として活かす研究が必要で、自分なりに小径木や枝に素材としての可能性を見つけたいと思います。 今回、お昼を食べながら現場で様々な意見交換を出来たことが、何より素晴らしいと感じました。ピザとカレーと珈琲が、あの時間を作ってくれたと思います。 森で木の話をしよう。


 

林業の専門家からすると、この作業は林業とは言えない、素人の休日の遊びのようなものかもしれない。

でも、たくさんの人たちを巻き込み一緒に森で考えたいから、いきなり機械を入れて大規模にやるのではなく、まず、自分たちでやってみる。
今回伐った木や枝は、それぞれの作家さんのもとで、なにかのものになっていく。
もうすぐヒダクマの森への林道は雪で閉ざされて、山眠る。

また来年に、皆で一緒に森に入ることを楽しみに。